多分家族みんな発達障害の日々

結婚や子育て、発達障害や生活について日々思うこと

大丈夫です、貴方のお悩みは普通の人が受け流せる範疇を超えてますから

 先日、この生活にあまりにも嫌になってしまい涙が止まらなくなってしまった。仕事が一段落して、燃え尽きたためか。その仕事の忙しさで部屋がどこから手を付けていいのかわからないほど、散らかっているためか。ウクライナの戦争に過剰に反応しているためか。安倍総理が亡くなり命の儚さを改めてリアルに感じたためか。生理前だからか、、、
 隣のおウチで、プールに入る子供たちと仲良さそうな夫婦の声が聞こえて、泣いてしまった。ただ、普通に幸せになりたかっただけなのに。近所に住む両親に自分が苦しんでばかりいて、幸せな姿を見せられず申し訳ない。こんな私なら居ないほうが、みんな幸せなのではないか。。リビングで展開される子供の喧嘩にも嫌気がさし、竹内結子もきっとこんな気持ちだったのではないか?いつもは割と元気だけれど、ふとした瞬間にすごく死と隣り合わせな自分を感じ、踏みとどまらなきゃ、やり過ごさなきゃ、と思うものの、やり過ごせずふわっと衝動的に、、なんて妄想してしまいました。今みたいな平常時は、人の気持ちなんて本人以外誰も分からない思うのですか。

 本当つらくて、でも、自分も信頼してるから、見通しもたてて、とにかくやり過ごせば、いつもの幸せも感じられる自分に戻れる。と、とりあえず目の前の片付けもせず、子供の喧嘩の仲裁もせずウルサイと一喝し、隣の家の幸せな声も聞こえないように音楽を流し、そうだ!美味しいものを食べよう!と、冷蔵庫のモッツアレラチーズにオリーブオイルと塩胡椒で食べ、ソファーに寝転び、携帯で助けを求める。具体的には気を紛らわせられるような、相談窓口を探しました。
 電話相談はなんたか、敷居も高く面倒なので、ライン相談ができるってことで、生きづらびっとにコンタクトしてみる。友達登録して、相談するとすると、対応時間外なのでまた後でラインするように促される。そこで、同じサイト内で自分の心理状態分析みたいなのをしてもらう。たくさんの質問に答えて、、診断として私が理解できたのは、理想が高すぎてその理想とのギャップに苦しんでいる。普通とはなんですか?と逆に問いかけられる、、結果を受けて考えてしまう。例えば、暴力や暴言が日常にあって、普通の人(死にたいとか思わない人)は、人生そういうこともあるよね、こんなもんかと受け流せるのか?幸せな結婚とかいかないまでも、例えば会話のない夫婦であってもいい、ただ生命をおびやかされない程度の安全な家庭がほしいというのは理想が高いのか?怒鳴られても気にならないのか?そういうもんなのか?ん?ん?私は頑張って理想を低くしているけど、より低くする必要が?などと混乱し、普通でない自分を自覚しているがために余計普通の人について考えてしまいました。
 やりきれない想いも、何がきっかけかは思い出せないのですが、多分生理がきたりして消えて、後ほどお世話になっている発達障害支援センターで、そんなことがあったんですって、話をしました。その時の臨床心理士さんの言葉が「その、生きづらびっとという相談窓口がどんな方を対象としているか分かりませんが(発達障害を持つ人ではなく、一般人々対象?)、大丈夫、貴方のお悩みは普通の人でも受け流せる範疇を超えてますから」と、悩みを肯定されて安心しました。望み過ぎないようにしよう、暴力をも受け入れていこう、そうすれば幸せを感じられる?と舵をとらきゃと、迷子になりそうだったので、やっぱり、暴力への違和感は正常と心を撫で下ろす。当然なことなのかも知れませんが、視野狭窄に陥りやすい自分は、自分以外の人に考えをアウトプットする必要性があるなぁと改めて思います。そして、肯定されて嬉しい。やはり、暴力はダメ。
 何年も通っている発達障害支援センターですが、初めてカサンドラ症候群の指摘も受けました。もちろん、知っています。そうなのかなと疑ったことも。夫が「何もできねーくせに」って言うから、洗濯物も夫のものをはじいて洗濯するわけですよ。わたしは、ただ、「悪かった。もうそういうことは言わない」と言ってほしいだけで、意地悪をしたいわけではないんです。そして、その話を夫本人にもしていて、「制裁しているだけで、ただ、反省して言動を改めてほしいだけだ」と伝えても「制裁だ?制裁とは立場の上の者が下の者にするものであって、オマエは俺より上の立場ではない」って返ってきてしまいます。そして、私はそうなの?制裁ってそういうもの?とまた、ハテナな状態になって、、と発達障害支援センターの人に話すと、話が通じない訳ですね。と、言われ、ホッとする。無意識に私がおかしいのかな、、って思ってるんだって。私が示した洗濯物をしてあげないという行為の結果として、ごめん、もう、何もしてねぇなんて、言わない!という夫の反応を望むのはそんなに変なことではない。相手が夫でなければ、私の想定する反応が返ってくるかもしれないのだ。その、くだりで、カサンドラ症候群なのではないかと、言われるのでした。
 私はこれから、キャッチボールのできない、投げたボールは受け止めてくれたとしても、明後日の方向へ投げられてしまう、それを取りに行く気力さえでない、そんな日々をどう送るのかな。自分がカサンドラ症候群だったとして、認識するともう少し楽になれるのかな。今度、カサンドラの会のような自助会に参加してみようと思います。
今週のお題「人生最大のピンチ」