多分家族みんな発達障害の日々

結婚や子育て、発達障害や生活について日々思うこと

モノを持つということ

 新居に住み始めた。建築前の建売で多少間取りに融通を利かせた我が家。

 住んでみると居間がもっと広ければ良かった、ここはドアの開く向きが逆ならモノが置けたのに、ここは曇りガラスじゃない方が良かった、やっぱりオール電化にした方が良かったのでは?…と悶々とする。価格は変わらずタイムリミットまでにどうするかは選べたから悔やんでしまう。

 家を買って気付いたこと、それは持つ前は興味もなく意識しないものであっても、持ってしまったら最後、他のものと比べてしまうということ。

 最近やたら他の家が目に入り、広くていいなぁ〜とか、やっぱり新しい家って大抵オール電化かぁと羨んでしまう。家を買う前はそんなこと、どーでもよかったのに。

 じゃあミニマリストがいいのか?それも微妙。そこまで根つめて必要不必要を選別するエネルギーもない。

 ただ、そういうものなんだなぁと原理を理解してあんまり比べて不満を持つようにしないように気をつけようと思う。そもそも持ってさえいなければ、どうでもいいんだから。

 持ち物に意識や時間を割かないようにしたい。勿体無い。

 

 青年海外協力隊のボランティアに参加しアフリカのガーナで2年暮らした。質素な身なりをしていたつもりでも、ガーナ人からいいなーと言われたものは全て無くなってしまった。盗まれたのかな?G-SHOCKの腕時計、iPod、デジカメ、Nokiaの携帯…残ったのは電子辞書だけ。日本語を英語に変換する道具はわたししかいらないもんね。滞在最後の方は300円くらいポケットに入れて買い物に出ていた。色々無くなって楽だった。守るものが命くらいって、安心して町を歩ける。持たない爽快感を覚えた瞬間だった。

 ガーナの人は当時はしりだったhi5というソーシャルネットワークに顔入りの写真から住所や電話番号までも載せていてわたしを驚かせた。守るものがないからなせる技。例えその情報が公開されていても、何か取りにきても取られるものなどほとんどないのだ。

 隣国のブルキナファソにいった時はもっと凄かった。走る車はエンストしてばかりだし、おしなべて画一的に同じような家に住んでいた。他人を羨む必要などないくらい皆んな貧乏でみんなある意味幸せそうだった。牧歌的というか。ガーナはアメリカの車であるハマーが時折走り富の象徴であり羨まれていた。豪邸もしばしば見かけた。羨む対象すらないくらい生活レベルがみんな一緒って、心穏やかに過ごせる。でも羨む対象のハマーや豪邸の出現で少しガーナの方がギスギスしていた印象があった。

 そもそも無ければ目にも入らない。目に入り関心をもつと比較が始まる。人と比べずに生きなさいなんて言われても綺麗事のように聞こえる。比べてしまうのは仕方ないことだから。そして比べると苦しくなるから呪文のように「比べない」と唱えるのだ。足るを知るって本当に難しい。

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