多分家族みんな発達障害の日々

結婚や子育て、発達障害や生活について日々思うこと

喧嘩の後で落ち込む

 正義なんて意味が無いのかもしれない。

 夫は父親から殴られて育ってきた。そして立派な大人にしてもらって感謝している。だから、妻も子供も殴る。

 暴力がいけないんだよ、という正義。そんなもの夫の前でかざしても、なんの意味もなさない。いけないと分からないから。偉い人や多数の人が暴力を否定していても、なんの説得力もない。いけないという感覚がないから。

 わたしはそこから出発しなければ、いけないのだ。みんなが暴力がダメって言ってるよ!なんて言っても夫には響かない。夫婦だから、そこには暴力を振るう男と暴力を振るわれたくない女がいるだけ。個人として、痛い思いをしたくない事を切実に伝えてやめてもらうしかない。誰に相談しても別れろと言われる。友人を始め両親、警察、地域の行政カウンセラーにも相談した。リコン。離婚をすればいいかもしれない。

何故彼と別れないのかと思う。

 彼は私しか一緒に居られないと思うから、それが大きい。共依存的な関係なのかもしれない。何らかの理由で別れた過去の恋人が、結婚したウワサを聞くたびに「やっぱり自分でなくても良かったんだな」と、少し落胆するのだ。

 まだ付き合って居た頃、ドライブで通りかかった、赤城山の麓の焼きトウモロコシ屋さんに寄った。夏しか開いて居ないお店。彼は「去年の夏、仕事もなくてよく1人でここでトウモロコシをかじっていた」と独り言のように私に言った。その時わたしは、あぁこの人もわたしと同じでどうしようもなく独りなんだなと思った。それからもう10年近く経つ。わたしたちは、一緒に、なったのだ。