多分家族みんな発達障害の日々

結婚や子育て、発達障害や生活について日々思うこと

産後うつ 里帰り的要因

 出産時の里帰りも、わたしの場合は結構なダメージとなった。

 何をしても泣き止まない我が子。おっぱいもあげた。オムツも変えた。温度も適温。でも泣き続ける。すると実母に「かしてみ!」と赤ちゃんを取り上げられる。「おっぱいばっかりあげて、もういらないんだよ!」なんて言いながら…でも泣き止まず返ってくる我が子。母親としての自信を喪失する。

 やっと寝ても下に下ろすと起きるからずっと抱っこか、おっぱいにへばりついている我が子。どうしたものかとネットで調べようとすると母親から禁止される。本を読むのも禁止。産後目を使うと失明すると脅かされる。仕方なく音楽を聴けば赤ちゃんに悪いと、くるりを聴いていても消されてクラッシックにされる。いくら上げ膳下げ膳でも自由がない。暇でやる事もなく滅入る。寝てるけど下ろすと起きるから抱いてるだけでやる事もないのに、テレビも見てはいけない…

 長く実家を離れているため実母のルールに従わなければ糾弾される。トイレの蓋が閉まってない、箪笥の引き出しがちゃんと押し込められていないだけで「そんなこともできないで母親になんかなれるものか」と何故かそこまで言われ、母親失格の烙印を押される。

 妹の赤ちゃんの時の話ばかりするから、私が赤ちゃんの時は?と聞けば覚えてないと言うし。やっぱり妹の方がかわいかったんだと今更どうでもいいことまで悩む。暇だから。

 手はあかないけど、頭ばかり暇してて、正常なインプットもないから鬱々と考えるくらいしかやる事がない。

 耐えきれず予定より早く里帰り終了。アパートに帰った時の開放感といったらなかった。

 3人目は里帰りもせず、アパートに直接帰った。もちろん。テレビも見放題だし産後すぐに動いて寝てなんかいなかったけど、目は今んところ悪くなりそうにもない。迷信だったのでは?そもそも床上げまで寝てるのは鬱を誘発する。

 

 実母とは折り合いが悪い。

後日、実家に滞在中、深夜に夫の姉に夫の暴言を電話で相談していると、誰と何を相談しているなか詮索された。夫婦の間の悩みを相談したくなかったけど、かなりシツコク聞かれるので夫の事をはなした。

 翌日アトピー持ちの我が子が外出先で食べたチョコレートでまた蕁麻疹を起こし薬を持ち合わせてなかったので急いで実家に薬をとりに帰った。子供の顔がパンパンに膨れ上がり、結構パニックになるし辛い状況。その辛さにトドメを刺す母の言葉「そんなんだから、旦那に暴言吐かれても仕方ない」。死ねと言われて仕方ないと?1番まいっているタイミングで今1番言われたくない言葉。いくら母もパニックだと分かっていても許せなかった。だから母に相談したくなかった。それを無理矢理聞き出して、こんな弱味に漬け込むなんて…父がどうか許してくれと私に頭を下げた。父がいてくれて良かった。

産後うつ 身体的要因

 産むのが痛いのは聞いていたが、産んでからも相当痛いとは聞いていなかった。

 産後の身体がこんなに不自由なものだとも知らなかった。まさに戦いの後の傷ついた獣のよう。

 まず、会陰切開の縫った痛みは慢性的にズキズキする。椅子になんか座れない。切ったおかげですぐ出てきた♡とその場は喜んでも、2、3日すると麻酔も切れてきて、出産時のあの短時間の痛みに耐えて切らなかった方が、長々とこの痛みに耐えるよりマシなのではないかと医者を恨むようになる。

 ロキソニンを1ヶ月飲んでしのぐしかない。1ヶ月もすれば大分いい。

 次に 授乳も苦痛。赤ちゃんにおっぱいあげるなんて、母親としての幸せの極みだと思っていた。なのに、乳首が切れそうになり激痛なのだ。赤ちゃんの口が小さい上に吸う力が強く、一点に、圧力がかかるため?乳頭の付け根に亀裂がはいり、ぽろりと乳頭が落ちそうになる。

 コレはPigeonの乳頭保護器で対応。使うのは産後3週間位だったけど、神だった。授乳の度に訪れる、歯を食いしばるような痛みを救ってくれ、傷も癒える。治る頃には赤ちゃんも吸うのが上手になって、痛くなくなるし。

 最後に冷や汗ものの便秘。最初は訳が分からず、肛門かなんかの癌では無いかと肛門科専門医に行ってしまった。汚い話だが、出口付近の便だけ超硬くなる。その栓みたいなのが、出てしまえば柔らかいのだ。本気の便秘の経験がなかったから、便秘って便全体が硬くなると思っていた。硬すぎて出すのも恐ろしく出さないままにしていたら、夜も眠れない腹痛に襲われる。いざ出す段階も出すも地獄出さぬも地獄。肛門に圧がかかると激痛で、便座には座れない。中腰でもうどうにもならないとトイレにこもること1時間。赤ちゃん泣かないでと祈りつつ、誰か助けてと心で泣き、スマホで調べた摘便を自ら行い、裂けること覚悟の排出。鮮血で便器はまっ赤に染まる…

 これが毎回の便通となります。授乳で大量の水分を吸われるからだろうけど、なぜ肛門付近の便だけ硬くなるかは不明。1ヶ月検診でお医者さんに大量のマグミットをもらい、飲んで、水分とって、オリゴ糖を料理に使って、ココアも飲んで、出来る限りのことはしているけれど、まだ毎回血は出る始末。もっと野菜食べて水分取らなきゃ?かなと思う。産後二カ月の今まだ続く。授乳が終わるまで続くんだったか、忘れてしまった。

 身体の痛みは慢性的になると結構精神的にダメージを受ける。これに加えて泣き止まない、寝ない子の育児となると結構参ると思う。

家を買う

変な話かもしれない。わたしは家がいらなくて、夫は欲しがっていた。お互い長男長女で同じ県内に実家の家をゆくゆくは相続する。だから、それまで借家住まいで相続したら住めばいいし、その前に必要なら同居すればいいと思っていた。家は高額だ。そんなものに大枚はたくより、お金があるなら子供の教育や海外旅行に使いたい。わたしの稼ぐ給料も当て込んで、欲しくもない家なんか買われたらたまらない。そう思っていた。

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 わたしが欲しいもの。40歳を目前にして欲しいものなんてあまり無いのだ。強いていうなら子供。夫に対抗する形で、子供を希望した。わたしが欲しいものは子供3人、夫は家。これなら共稼ぎで2人でそれぞれ欲しいものを手に入れてフェアなのではないかと。

 こんな話を夫にはしていあない。でもわたしの希望通り3人の子供に恵まれた。第三子は現在二ヶ月。とても可愛い。この子を産ませてもらえただけ、彼と結婚してよかったと思う。結婚相手に望むことは、わたしの希望を叶えてくれそうなヒトだった。3人目の赤ちゃんを見るたびにあまり多くを望んでは行けないな、わたし幸せだなと思う。

 3人目妊娠中に建売購入の契約をした。条件に合う物件、それはわたし実家が近いこと、子供部屋が1人一部屋あって、なおかつもう一部屋あること、要するに5LDK。実家の実母とわたしは折り合いが悪い。出来れば適度な距離が欲しい。しかし夫は仕事が遅く子供を見れない免罪符?子どもをケア出来る人数が多い方がいいからと、自ら嫁実家近くを提案してくれた。確かに助かる面もある。部屋数も夫は、2階が4部屋必要だと主張。子供3人と夫婦の寝室として。子供が一人一人部屋が必要なのはほんのいっときだから、2階が3部屋で子供が使う時は1階の和室でわたしたちは寝ればいいとわたしは主張。そして安い建売で…家を買うだけでも全然意見が合わず平行線で、もういらないんじゃない?と思っていたが、実家近くに土地をならしているところがあり、建設前の建売物件の間取りを一部変更(上を4部屋に)して相場より少し高い物件を購入するに至った。

 本当は子供が幼い時は野山の自然が豊かなところに住み、高校生くらいになったら都会の文化圏で色んな文化や書籍に触れられるところに移り住んで子育てしたかった。それが最高の贅沢な気がした。

 現在の美しい自然があるアパートを今月中にも立ち去る。寂しい。どうせ北関東に住むなら自然が多い山岳部がよかった。子供と散歩すれば青大将に遭遇し、去年の秋は山里に降りてきたおっとこぬしのようなイノシシが人命を奪った。ここは自然に敬意を払って暮らす土地なのだ。引越し先は中途半端に町な平野部。自然がない分、人的な豊かさがあり子供の成長を多くの手で見守れるから良しとしなければ。

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 わたしの理想がいつも高すぎること、理想通りにいかないことも37年生きれば分かっているつもりだ。及第点を見つけて進む。誰かと一緒に生きる以上、そうするしかない。 


喧嘩の後で落ち込む

 正義なんて意味が無いのかもしれない。

 夫は父親から殴られて育ってきた。そして立派な大人にしてもらって感謝している。だから、妻も子供も殴る。

 暴力がいけないんだよ、という正義。そんなもの夫の前でかざしても、なんの意味もなさない。いけないと分からないから。偉い人や多数の人が暴力を否定していても、なんの説得力もない。いけないという感覚がないから。

 わたしはそこから出発しなければ、いけないのだ。みんなが暴力がダメって言ってるよ!なんて言っても夫には響かない。夫婦だから、そこには暴力を振るう男と暴力を振るわれたくない女がいるだけ。個人として、痛い思いをしたくない事を切実に伝えてやめてもらうしかない。誰に相談しても別れろと言われる。友人を始め両親、警察、地域の行政カウンセラーにも相談した。リコン。離婚をすればいいかもしれない。

何故彼と別れないのかと思う。

 彼は私しか一緒に居られないと思うから、それが大きい。共依存的な関係なのかもしれない。何らかの理由で別れた過去の恋人が、結婚したウワサを聞くたびに「やっぱり自分でなくても良かったんだな」と、少し落胆するのだ。

 まだ付き合って居た頃、ドライブで通りかかった、赤城山の麓の焼きトウモロコシ屋さんに寄った。夏しか開いて居ないお店。彼は「去年の夏、仕事もなくてよく1人でここでトウモロコシをかじっていた」と独り言のように私に言った。その時わたしは、あぁこの人もわたしと同じでどうしようもなく独りなんだなと思った。それからもう10年近く経つ。わたしたちは、一緒に、なったのだ。