amareiの日記

結婚や子育て、生活について日々思うこと

夜カーテンを閉めない夫

 先日公園の駐車場内、車の中で言い争いになりました。言い争いの最中、チャイルドシートを閉めて、喉が乾いたという3歳の子供の水筒のコップに水を入れてやり、わたしの車なので(運転は夫)、カーナビの民放のテレビ番組から音楽DVDに後部座席から立ち上がってカーナビを操作しようとすると、急発進しアクセルを踏んで進みカーブもスピードを落とさず曲がった夫。「殺す気かー‼︎」と叫んでしまいました。その後も「大きい声出さないで」と私が狂った人扱い。息子の水はもちろんこぼれて、息子も泣く…あれで駐車場内で子供飛び出してたら殺してたと思う。その夜警察に相談したら来てくれて、夫は「スピードなど出していない、妻が騒いでいるだけだ」と言い張ります。2、3日後に聞いても絶対に認めない。スピードなんか出してないとのこと、、ドライブレコーダーつけようと思います。先回りして手を打たないわたしも馬鹿だった。DV夫は直接暴力を振らないようになったと思ったら車で怪我させようとする、、しかも別れてくれない。調停も調べますが、仕事あんのに裁判所行くって考えただけでもダルい。別れてくれ、分かったって絶対ならない。本当DVの夫は暴力のエネルギーポテンシャルが高いから、こちらも対抗するのに相当の覚悟とエネルギーが必要で、、刺し違えても別れるくらいじゃ無いと別れられない。その面倒くさがり屋な私を見込んで、夫も私と一緒になったに違いない。

 

 1年別居して夫は夫の実家に帰れないほど疎ましがられているとのことで、別居するならホテル?とか言い出して、、なんやかんやで、家の金を持ち出す騒ぎとなり、やむなく家庭内別居をスタート。夫は二階の使ってない子供部屋を2つ使い始めたのですが、この時期、風が通らないとレースのカーテンも開けて1番道側の部屋で過ごしているのが、とてもイヤです。腹の出たゴリラみたいなオッサンがビール飲みながらスマホいじってくつろぐみっともない姿が外から丸見え。こちらも恥ずかしいし、目のやり場に困るから近所の人も嫌じゃないかなぁ。そんな恥ずかしい家の住人である事も恥ずかしい。そもそも夫が居なくても部屋の中が丸見えってだけでも抵抗がある。しかも日中もカーテン閉めないで仕事に出るらしく、誰も居ないの部屋の中丸見え。なるべく夫の生活圏に近付かないようにしてたので、家庭内別居が始まり2、3日後に気付いたのですが、不在時も在宅時も家の中丸見えなのが本当に嫌です。話したくもないのに、電気を付けたままカーテンを夜、開けないで欲しい事、風が通らないなら、百歩譲ってガンガンクーラー入れていいから、カーテン閉めて欲しい事、出かける時もカーテン開けたら閉めて欲しい事、我慢できずに伝えました。もちろん言い争いにになり、こんなに同居者が嫌がってるのに、分かったやめると言ってくれません。そもそもデリカシーが少しでもあれば、こんなギロンも無いはず。それとも私が自閉症だからどうしてもカーテン閉めて欲しいと、そのコダワリが捨てられずストレスなのだろうか。

 夫は他人にいつも気をつかせます。実家に連れてってもブスっと携帯いじってるだけ。気を遣って話そうという気は更々ない。母が気を遣って疲れると言います。居るだけで、せめて楽しそうにしていれば良いものの、、居るだけで毒になる。せめて、子供でも見ててくれ。私の友達でヨイショが上手い子が2人居ますが、そういう友達が遊びに来た時だけ嬉しそうにしています。身内に気を使わせるだけならまだしも、他人や近所の人に部屋の中の丸見えのオッサン見ちゃ悪いなって気を使わせてしまう、迷惑行為なのではないかと思うのは考えすぎでしょうか。

 

余談ですが、先日マイケル・サンダルの白熱教室を見ていて、テーマは難民と移民でした。違う文化の移民を受け入れる事によって、人々の生活や文化は豊かになるというクダリがありました。どうしても置き換えてしまう。私は文化の違う夫を受け入れられない‼︎浮気する人が嫌だ、ケチな人が嫌だ、と消去法だったけど、最後は暴力を振るう人と一緒になるなんて、、この世に暴力を振るう男って居ないと思っていた盲点。夫を受け入れる事は暴力を受け入れる事なのだろうか、、それとも別の突破口があれば受け入れられて人生を豊かにしてくれるのかな?諦めたいけど、、

2019年の出来事、夫と別居

 昨年はブログ1個も書かなかったんだなー。年明けに、はてなダイアリーからはてなブログに移行するっぽいメールが来て、書いても消えちゃうんかなぁなんて思って。そしたら、まだ残ってて、書き始めた頃は0歳だった息子君も3歳を過ぎ話して走り回っている。ああ、もうそんな時がたったんだなと思う。その間Twitterなんかも利用してみたけど、やっぱり私のように思いついた事をまとめずに書く人はブログ形式の方が助かります。思考は取り留めなく続くから、まとまった量の文章で書ける方が気が楽。

 

 あと夫とおよそ1年別居生活で、心穏やかに過ごせたから、ストレス状態にならなくて、あまりアウトプット?愚痴らなくて済んだ1年だったのかな。別居の動機は夫の2度目の長女に対する暴力。ブロックでまだ遊びたいとブロックを片付ける箱に覆い被さる娘の頭を、怒りに任せた勢いでズンとブロックの箱に押し込む光景。中に尖ったものでもあったらとゾッとする、、平手打ちの時に児相のお世話になり、そういえば泣き叫ぶ娘の口と頭を手で押さえて持ち上げたこともあった。バタつく娘は空中で失禁。滴れるオシッコ、、そんな光景が昔もあった。コレって普通なのかな?普通の家庭の普通のシツケなのかな?折しも千葉で女の子が虐待の末亡くなった事件の後で、私は少なからず厳戒態勢だった。ブロックに娘の頭を突っ込んだ直後、図体のデカい夫に小柄な私が胸ぐらをつかみ「オマエみたいな奴が、シツケとか言って子供を殺すんだよ」と叫んでしまった、、という事件が年明け直後にあった。夫は背も高ければ太ってるし、本当存在自体が暴力的なのを、自分自身で分からないようだ。その後近くに住む私の両親がかけつけてくれた時、ちょっと頭をこずいたのに妻が大袈裟に騒いでいるみたいに説明していた。別居中も妻が貴方でなければ特に目くじら立てられなかったみたいな事を言っていた夫。オレは妻が暴力に過敏でうるさくて運が悪かったくらいの認識のようだ。自分の外側に別居の理由を求めたから、結局別居の意味もないんだけど、、貴方のかつての暴力で私が負傷して、今でも一生許すまじと肝に命じてると、どんだけ恨んでるか、分からないのかな???だから、娘にも再び手を?

 ちょっと話は前後したが、もう娘に手を出さないと言ってコレか、出て行かないなら離婚する‼︎となり、出て行ってもらえた。出て行ってもらえると、まさに天国で、、何よりうるさく言われず自分のペースでできる。夫がいると、やれ飯にしろ、子供風呂入れろ、寝かせろとうるさくてたまらない。そんなに気になるなら、自分でやれよと思う。普段会話らしい会話も無いのに、口を開けば命令かダメ出し。アレがしてかい、コレはまだかと。正直鬱陶しくて。

 しかも居るだけで苛立たされらる事にも戻ってきて気付く。アレしろ、コレしろと口やかましく言うくせに、自分はデカイ体でソファにふんぞり返って携帯見てたり、テレビ見てたり。正直目障りで仕方ない。何で同じ大人で子の扶養者で、妻も同じくらいの額の給料もらってきてるのに、こっちだけ忙しく家事子育てしてんの?部屋の片付けも子供とだけ一緒に暮らしていると、気持ちよく過ごそうとキレイに出来るけど、夫が居るだけで、アイツの為にキレイな部屋を提供したく無いわいと、汚部屋に逆戻り。邪魔臭いわ、、せめて大人しければ、、

 ここにも自分が発達障害だから、こんなに自分ばかり損しているとか、大変な目に合っていることにストレスを感じるのか?定型発達の妻なら、自分ばかり仕事してて夫は何も手伝わないこと、むしろ仕事増やすこと、がすんなり受け入れられるのだろうか?と疑問に思う。

 

 別居も別居で快適で、新築の家から夫は実家に帰り夫の給料から生活費を渡し、残りはこちらにいる産休中の母親と子ら3人で食い潰す感じで、生活費に困らない。しかも厄介な父親がいない、悪いことしたから当然みたいな感じで。生活費もらってる手前、週末だけ、子供に会わせてやってもいいという感じで1年近く過ごせてました。このまま、子供が成人するまでこの生活がベスト‼︎と誓約書にケチをつけていた、、夫の姉からお義父さんが息子が帰ってきて迷惑してるとLINEがあったが、すいませんと謝るところだろうと思いつつも、こんな暴力息子に育て上げたのだから暴力父親が責任取れよと思い、「こちらも帰ってこられても迷惑なんです」と返信した。もういいやと思って。

 誓約書を書いて家に戻るという話で別居開始になったのだけど、その誓約書もトンチンカンで。我々夫婦2人は子供に対して暴力を振るわないと誓います‼︎みたいな仕上がり。2人の誓約書??ここまで来ると夫の知能が低いから、私は苛立ってるのかと思う。丁寧に説明した。「あのさ、貴方が悪いことをしたから、もうしませんっていう誓約書書くんだよね?私、暴力振ったこと1度もないよね、何で登場するの?例えばさ、私が浮気したら、しないけどさ、悪いことしたと思ってまだ婚姻関係続けるというなら、私はもう2度と浮気しませんと誓約書書けると思うけど、何でアンタは書けないわけ?悪いと思ってないの?」この説明で何とか、自分はもう、暴力振るいませんという誓約書の文脈になった。しかし、どこからどこまでが暴力かというところで、揉めることをいいことに、誓約書ができるまで約1年、、ついに2019年の年末に誓約書が完成し、やむなく夫は帰宅したのでした。本当帰って来て欲しくなかった。

 何で離婚しないかと自分でも思う。この前、雑誌の心理テストで私は究極の合理主義者という判定だった。初めは、え?って思ったけど、多分そういう事なんだと思う。自認は無いけど、相当頭の中で損得勘定してそろばん弾いてる。だから、私より楽している夫が疎ましいんだ。夫は面倒にも絶対別れないと言う。分かった、別れようという人ならとっくに別れてる。夫曰く「自分が自己中でなければ、別れてあげられたと思う。君は子供も、近くにいる両親も居て、失うのは僕1人だから、そんなにダメージは無いかもしれない、でも僕は母親も亡くなり、実家の父も一緒には暮らしたくないという。この結婚がダメになると、何も残らない」との事。同情もするけど、改めないなら恩赦しようとも思えない。もういいから別の人と、やり直してくれ。そしてここで調停に持ち込んで裁判してっていうエネルギーさえ、使うのが勿体無い。要は夫にこれ以上何も奪われたく無いのだ。時間もお金も心のエネルギーも一切。そろばんを弾いた結果、ここで大きく戦って消耗するより、何とかやり過ごしながら経済的にも大変な思いをせず、子供もちゃんと望む進路をとらせてあげて、解散するならその後で、流行りの熟年離婚狙いが妥当かと。とにかく闘いの機はまだ熟してない。

 女として、の部分も発達障害だから、特殊なのかも。何というか、もう男だとかに無駄に時間を割きたくない。男を見る目がないから、付き合う相手もバクチかと。もうそんな博打打つほど人生の時間が残されていないし。例えば今年41歳の今別れればギリギリ、生涯連れ添いたい相手を探す努力もできるし見つかるような気もする。でもそこにはそもそも怠惰だった。だからこの即席の結婚。それより、残りの生涯を発達障害当事者研究者に当てれば自分も知れて、娘の布石にもなるかもしれない。そちらに時間を使いたいかなと思う。

 そもそも、この結婚自体が今思うに、全く共通点が無いけれどただ一点、今すぐ結婚したくて待てないADHD同士が出会ってしまった事に起因すると思う。こんな私でも結婚ができた事、子供に恵まれた事に夫にも運にも感謝しなければと思う。でも、結婚が幸せの代名詞であるとなると辛すぎる現実。話が通じない夫との返って自分の存在価値さえ貶める結婚生活。話を聞いてもらえないか、話をすれば馬鹿にされるから、話したくも無い配偶者。家庭に話せる大人が居ないのは孤独です。そのうち、子供が成長して話し相手になってくれるかな。私は運が良い事に独身の女友達の同級生が2人いて、2人といると、私たち同じようだなと思う。好きな仕事して、自由に生きて、たまたま、私は夫というオマケが人生の一部として入り込んでるに過ぎない。その程度に過ぎないと結婚を定義する事で、何とか折り合いが付いている。

コロナと発達障害の私

少しコロナも落ち着いてきたけど、何が疲れたかというと自粛要請の空気読め感。。4月に入って保育園から登園自粛のお願いがあり、雇用主に相談するも有休取れみたいに言われて、、そこにコロナ休校で子供が家に居て憂鬱みたいな特集をテレビを見かけると、コロナ休校だからと在宅勤務とか家で主婦していられる層は金持ちの上級国民だけでは?世間様は休めない働きアリの国民に配慮は無いのか?とため息。仕事休みじゃないんだからと子供を保育園に預けていると、保育園の先生から直接「仕事場、今休業中だよね?仕事あるの?休めないの?」と聞かれてしまった。他意はなく純粋な質問として、明るく爽やかに聞かれたけど、、、そこで私は同じ職場のママさん達のように「仕事あるから、しょうがないんだよね〜」と明るく返してお終いにできない。そうだよね、保育士さんも迷惑だもんね、頑張って休んで子供家で見るのが今の私に出来る1番の社会貢献と本当は嫌だけど最終的には有休とって休んでしまう。要は自分が発達障害で人の気持ちが上手く推測出来ないから、言いなりになってしまう。でも、子供預けて職場に出てこられる、普通の神経?のママさん達が羨ましかったりする。休みたいけど休めなくて肩身が狭く、保育士さんに申し訳ない、どう思われてるんだろう?などと考えて苦しくなり、考えるのも嫌で思い切って有休取るのが私の判断。きっと休めないの?と聞いた保育士さんも私がこんなにプレッシャーに感じると思わないから言ったのだろうけど。

ゴールデンウィーク明け、流石に仕事行くので保育園に行くと8割くらい登園しているではないか‼︎と驚く。中にはお母さんが産育休中の人なんかも預けてて、えー私だけが家で子供見てた??と割りを食ったなと思ってしまった。みんな、どんな上手いこと言って保育園に子供預けてたんだろう、、私にはやはり出来ないが。結局、人が何考えてるか検討つかないから先回りして上手いことが全然言えず、結果こちらの要求を通すことが出来ないことが多い。。

他にも他の人からは真面目だねと言われるけど、加減が分からないんです!言われたら、そうなんだ!と出来る限り真面目に取り組む、今回の緊急事態宣言。不要不急の外出はしないでと言われたら、そう思う。でも老人会中心の朝6時からの公園清掃が中止にならず、、御老人こそが外出しない事が求められているのに、何故、人を集める、、しかも育成会の母親を‼︎と怒りを感じてしまった。お母さん達は今子供が家に居て忙しいし、家庭にウィルス持ち込むことに過敏になってるから出掛けたくないでしょーって。でも公園に集合すると、みんな普通に何の抵抗もなく掃除に来ている様子。気になって、「明日公園清掃ありますか?って聞いてきたの私だけでしたか?」と育成会長さんに聞いてしまった。結果、私だけだったようで。。やっぱ、私って変わってんだなーと再認識。

緊急事態宣言→雇用主やイベント主催者が人を集める事中止→言われた通りにステイホーム出来るという図式は成り立たなかった。そこに、様々な立場からの圧力や空気読め感が加わる。主催者サイド圧力と子供を預かる保育園側の苛立ち、その間で右往左往して消耗した。。人が思っている以上に、私は人の言葉が直撃する。そうしなきゃ!と思う。裏を返せば、言われたからといって、真に受けない、鵜呑みにしない、さして気にしないし言われたからといって、言う通りにしようとしない、というのか定型発達のスタンダードなのかな、、

家の中のことなら自分で判断して必要ないと思えばしたくないし、やらない。だけど、あまりに世間や社会や人々の思考が謎なので、そこから発せられる言葉というヒントに従順になり過ぎてしまうのかも。。通常であれば、世間とか本当興味がないからね、、世間の方が私に何かを求めてくると、困惑して自己主張もできず、大人しく従うんだろうな。

子育て支援センターでのストレス

子育て支援センターへ行っても、辛い気持ちになって帰ってくる。傷付く。今日はママ友同士で来ていた2組の親子にやられた…楽しそうにおままごとをする2歳の我が息子、そこへ1歳の子どもが2人やってくる…母親同士もともと友達で待ち合わせて来ているらしく話に花が咲いて子どもはほぼ放置。とはいえ3メートルくらいの距離にはいる。1歳の子どもらは息子の遊んでいるものを取り上げる。わたしも小さいから貸してあげてと息子に説得するが、そうは行っても2歳。分からない。。返さない1歳の子ども達に怒り出し、遊んでいたもの床に投げつけ、なおかつオモチャを投げる…1歳の子ども達は蜘蛛の子散らして親元へ。泣き叫ぶ息子、怖がる1歳児、冷たい視線の母親…泣きわめく息子を放置してオモチャを片付け、すみませんと頭を下げて帰るママ友の居ない私。なんか、かなりつらくて、朝の出来事なのに、夜まで落ち込んでいて、気持ちがふさぐ。

何に?

ママ友がいないこと?

ウチの子悪くないのにという思い?

子どもを放置して楽しそうに子育てしている親への羨望?

周りに惨めな親だと思われたと思ったから?

そもそもグループでくるなら、レストラン行けよとイラついている?

何が原因か分からない。

でも、嫌な思いをした。と、思う。

夫がアスペルガーでわたしが自閉症スペクトラムだからなのか

 本当に些細なことなのだけど…わたしは「一歳の息子君がお風呂のお湯溜めてる間に寝ちゃった」と夫に言って息子を布団に寝かせた。その後夫婦で珍しく起きていて、夫が先に風呂に入った。育児中のストレス発散ってなかなかできなくて、わたしとしてはゆっくり湯船に浸かれるだけで至極の時間だと、風呂を楽しみにしていたが…浴室に入るとお湯は抜かれて、窓は全開、しかもわたしは素っ裸。流石に深夜の田舎の裏道に歩行者は居なかったと思うけど…え?なんで?と思うと同時に怒りが。わたし、息子がお湯溜めてる間に寝てお風呂に入らないまま寝ちゃった話したよね?当然息子を風呂に入れようとしたわたしも風呂に入ってませんよね?しかも、夫に風呂入るわと声かけた時、何も言われなかった。勘違いしてるなら、入ってなかったの?お湯抜いちゃったよ!とか一言くらいあってもいいのにスルー。なんで??と聞くと悪気はないし、頭になかったと言われる…わたしに対しての思いやりのなさ、配慮のなさ、無関心に腹が立ち、お風呂でリラックスタイムは吹き飛ぶ。わたしがコミ症なの?お風呂入る前に息子が寝ただけで、伝わらないなら、なおかつ夫の行動を予測して、だからわたしもお風呂はいれなかったから、お湯抜かないでとまで言わないといけないの??まさか抜くと思わなかった。そして、こんなに頭にくるのはわたしが自閉症スペクトラムの傾向で、思っていたのと違う事態、予測と違うことに、パニックになったから?みんな予想に反してお湯がなくてもこんなに怒らないのかな?!

 

先日こんなこともあった…

職場でゴーヤをもらったとお盆で早めに帰宅する夫。食事が並んで、久しぶりに子供にご飯を食べさせるのを手伝ってもらえると思ったら、フライパン洗ってくれる?ゴーヤ炒めるから。子供は食べないよね。なんて言ってキッチンに立つ夫。仕方ないので幼い3人の子供にご飯を食べさせる介助を1人で行う。当然わたしはご飯食べれない。一歳の子供の口に運ぶのを手伝ったり、こぼしたものを拭いたり。ゴーヤチャンプルが出来たとわたしのとなりで、食事を食べ始める夫。ゴーヤ半分のこして、ご飯おかわり。それ、わたしの分だよね、ゴーヤ好きなの知ってるだろうし。久しぶりに子供向けじゃないオカズ楽しみだなーと思ってると、気付いた時にはおかわりしたご飯で残りのゴーヤも食べてしまった!何のために、わたしは彼が好き放題してるのを待って居たのだろう。ゴーヤが食べたかったからなのに。。子供は食べないよね?の言葉には大人が食べるという意味で、大人の中には妻であるわたしも含まれていると勘違いしていた!!しかもわたしの作ったオカズは残る…まさかわたしの分がないと思わなかったから、ちょうだいとか残しておいてって!言えなかった。そしてみんなが食べ終わった頃食べ始めるわたし。わたしの作ったオカズは、突然のゴーヤのオカズの追加で残る…こんなに同じもんたくさん食べてぇわけじゃないけどと思いながらやけ食いですね。自分のためだけに、作ったの?なら後で子供が寝てからやってくれアホくさと思ってしまう。夫の思考回路が分からん。宇宙人。分かれば声かけられて、声をかけられたら夫もこっちの希望を配慮してくれるけど…そこまで言わないと分からないんか!!というところがどこまでかまだ分からずストレス。一般的にアスペルガーは共感性がないとか、言葉の行間が読めないとか、具体的にはこういうことなのかな?正直些細なことでも日常的なトラブル?は?みたいなことがたまっていくと、シンドイ。

壊れる新居

 お風呂に入るところで一歳の息子くんがウンチをオムツにしている事を発見。運悪く夫も家にいて、オムツを外したところでオムツを片付けてくれた。そこまでは、よかった。風呂に入れる前にお尻拭きでお尻拭きたいと、拭いた。夫はそんなのいいから、風呂で流せと言っていた。コロコロウンチであんまり汚れていなかったそのお尻拭きを、これも捨ててと夫に渡す…脱衣所にゴミ箱はない。わたしはもうお風呂入るつもりで息子より先に脱いで素っ裸。捨てに行くのを断る夫。裸でキッチンにあるゴミ箱まで行くのが嫌。捨ててよ、お前が捨てろよの押し問答が続いて、もういいやとお尻拭き放置。。風呂に息子と逃げ込むと、何か割れる音が!風呂から出ると洗面台がの陶器部分が割れている…蹴っ飛ばしたらしい…まだ1年も住んでいない新居…

夫が嫌である。

でももう疲れてしまって。

対抗するために戦い、鬼になっていったわたし。ありたい自分からどんどん遠ざかって行く自分。

 

ブログが書けなくなった。

答えが出たからかな?もう関わらずに夫と暮らそう。いてもいないものとしよう。なるべく家の中でも合わないようにしよう。離婚するパワーももうない。離婚届けも破られて…あんなの強い闘争心と勢いがないとできない。

 

産後のホルモンの影響も落ち着いてきたからかな。ただ、穏やかに過ごしたい。夫をわたしの人生からなるべく切り離して過ごしたい。

ありのままの自分を愛して欲しい

この思いが発達障害バロメーターになるのではないか。幼い頃から親や学校が矯正を試み何度も否定されてきた。中学時代、支えになった言葉はブルーハーツの「誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか」流行っていたよね?!だからみんな思春期は反骨精神もあって大差はないと思っていた。でも実際わたしの今いる場所には強い同調圧力がある。I love you just way you are.なんていうのも人生で一度、誰かに言われたい言葉。その思いが強ければ強いほど、社会に馴染むのが難しいタイプなのではないかなと思った。

 先週、大学の友人と集まった。そこでやはり「ありのまま、素の自分」というキーワードを何度か耳にした。ずっと普通だと思っていたわたし。周りも似たように自由奔放で、共感し合えた。いつも自分たちは特別で、自分たち以外は下々の者だなんて思っていた…最高に楽しかった大学時代。自分たち以外の方が大多数だなんて、疑いさえしなかった。くだらないことに合わせたくないと、1人は独立して女社長になっていた。人間関係の煩わしさが出発点だったそうな。そもそも高校で進学校に行ったところから、人生楽になった。勉強してれば何しててもあんまり文句言われない。さらに大学はもっと楽。理系のそこそこ学力のある大学に入学する人という時点で既にかなりの少数派?フィルターがかかった後に出会うから、似た子も多い。しかも数少ない女子のなかでもさらに気が合うとなると、最強ベストフレンド。かなり共感し合えるのだ。

 受け皿のないリケジョ。そもそも社会とかに関心が薄いから、そんなにやりたい職業とかなかった。頭だけいい人はこの仕事って仕事があれば、もう少し社会に出てからも楽しめたのかもしれない。共鳴し合える仲間が生活の中にいたのは後にも先にも大学だけだったかも。仕事の内容よりも気の合う仲間と仕事できるって方が、仕事楽しいんだろうな。

 友人の1人は人生を無駄にしている気がすると言っていた。青年海外協力隊にいた時もまだ共感できる友達、面白い子がいたけど、ママになってから出会えない。ママ友らしき人がいない…イマイチ楽しくない。。それはもう仕方ないことなのだと思った。考えていること、感じてることを話せて共感し合える友人がこの地球にいて出会えただけでも良かったと思う。もう諦めて無理に興味のない雑談とかしてママらしいファッションとかして合わせる努力やーめた。好きにしよう。

 ママという肩書の発達障害の人は少ないから、気の合う人が見つからないのか。もしくはわたしと同じように、母親としてはみ出ないように、努力して目立たないのか。分からない。