amareiの日記

結婚や子育て、生活について日々思うこと

子どもに震えるほど頭にくる

 何に?怪我をするような危険な行為をする事に。

 多動で不注意な娘は、もう5歳になるのに目が離せない。立って歩き出してから今まで、危なっかしくてこちらが常に注意していなければいけない。気の休まる暇がない。

 昨日は洗面台のタオル掛けにぶら下がり、タオル掛けが壁から剥げ落ちた。新築の家が壊れた事にも頭に来るが、一歩間違えば大怪我。見てなかったか?わたしは下の子たちをお風呂に入れていた。実母が見ててくれてると思っていたのに、娘がいる場所を離れていた。任せたから文句言えないのか?見ててくれなかった事に。いい加減に見ている母にも腹が立つ。わたしは緊張感をもって育児している。それとも任せて事故るのが嫌なら四六時中わたしが見ているしかない?

  ADHD傾向の娘に参っている。いつも彼女に注意を払い気が抜けない。それにも関わらず、預けた場合、いとも簡単に怪我をさせる旦那や実母。結局預けたわたしの責任だから事故ってもいいのか?娘の顔や身体に一生消えない傷が残ってしまうのが嫌なのはわたしだけ?責任の所在。将来傷が残った時に責めらるのは、わたしだけだと、わたしが思っている。誰かから、社会から、責められたくない一心で、保身のために事故を起こしたくない。娘のためではない。

 では、どうしたら怒らずに済むだろう。幼い娘に「あんたが自分で気をつけないから怪我したんだ。あんたの責任よ」と言えば楽になれるかも。

 彼女を見る自信がないと、虚無感に襲われることがある。わたしが責められる一因となりえそうな彼女を殴りたいとさえ思うことがある。そして震えた時はその場から離れるのだ。怪我をさせたくないけど、手を上げたくなるのって矛盾している。ADHDの子を持つ親はどう自分の心を支えているんだろう。正直苦しい時がある。彼女を受け入れられていない。夫婦でも彼女がああでなければ、喧嘩が随分減るだろうねなんて話している。でも、ああなのだ。対応に頭を抱えてしまう。

結婚はタイミング

付き合っていてどちらが軽い気持ちでも「結婚したい」と言った時、即答できなかったら別れると思う。私も25の時付き合っていた人に結婚したいと言うと、相手は28位で結婚したいと言っていた。じゃあ何して待てば?と思い、外国に行ってしまった私。結局そのままに。

 妹もプロポーズされてでもちゃんと就職できるまで待って欲しいと言ったら振られて泣いていた。本当に好きな人だったらしい。

 待てばゴールインできるのかもしれない。でも、せっかくの気持ちにすぐに応えてくれない相手はこの先も自分のことを受け止めてくれないと落胆が強くなると思う。

 私の結婚もプロポーズされて迷った。あまりにトントン拍子で進んでいくのに戸惑った。でも、ま、いっかって気持ちで、結婚を承諾した。正直うまくいかない恋愛ばかりだったから、婚姻届をだす瞬間まで本当に結婚できるのかただ見守るような心境だった。結婚していろいろ大変だ。ま、いっか、って思えるように今度は努力している。

暴力は治る 浮気も治るから

夫の暴力を警察に相談したとき、とにかく離婚を勧められた。暴力は治らないからと。1度あれば必ず次もあると。わたしの求める対応とは違った。もっと一緒に居ながら、どうしたら良いか検討して欲しかった。でも警察側からすれば、2度とトラブらないためにも、別れてもらえるのが手取り早くて安心なんだろう。警察に相談していたにも関わらず事件になったとか、きっと嫌だろうからね。

 それから1年ちょっとまだ暴力はない。「暴力を振らない」と言う彼を信じている。なんでか?自分を信じられる様になったからだと思う。20代の頃付き合っていた彼氏が浮気して、精神的に参ったことがあった。別れた後付き合った別の彼氏を、わたしは浮気して傷付けた。本当に酷かった。されたことを本人でなく別の人で仕返したみたいに…それから絶対に浮気はしないと誓い、浮気などしていない。したくもない。浮気は治らないから次も必ずあるという。でもわたしには次は無いと信じられる。だから…もう暴力は無いと言う夫の言葉を信じるのだ。

 自分が信じられるから、相手も信じられる。自分が自分を裏切らないこと。それが幸せへの近道だと思う。

どんな時もふざける事を忘れない娘

 子供がふざける時は大抵やりたくない事をやらされる時。もしくは分からなくてつまらなくなった時。

 なんでこんなふざけてばかりなんだ?と4歳の娘を観察。朝から晩までふざけている…古いけどいつも、おっぱっぴぃみたいな感じ。意味不明な事を言って、1人で笑い転げたり、変な顔やポーズをとっていたり…要は朝起きたくないから始まりご飯も食べたくないし出かける準備もしたくない。服も着替えるのも必要性を感じない。夜だって眠くないのに寝かされる。やりたくないからふざける。そういえば、モノが喋れない赤ちゃんの時は泣いていた。何故そんなに?というくらい、ご飯や着替えを泣いて拒む。やりたくないのに、やられてしまうから。今は自由に動き回れるから、やりたくないのでふざけて誤魔化している。習い事の英語も分からなくてつまらないからふざけている。辞めてしまった。保育参観でも折り紙が上手く出来ずにふざけていた…大丈夫なんだろうか?ウチの子?と思うけど、多かれ少なかれ4歳クラスの子は結構みんなふざけていた。

 母親としてはやらせたい事をやってもらえないから非常に苛立つ。出掛けなきゃいけない時間が迫るとより一層怒りが込み上げてくる。そして最後に我慢できず「フザケンナ‼︎」と怒る。すごい気力と体力を消耗する。

 ふざける理由は分かった。じゃあ、どう対処すればいいのか?学習とか作業は難易度を下げて取り組ませる?やらなきゃいけない事をスムーズにやらせる方法はないのか?ふざけててもやってくれさえすればいいのだが。

 逆にやりたい事とは?遊んでいたいのだ。好きな事を好きなだけしていたい。それはわたしも一緒だなー家事なんか渋々やっている。好きな事だけしていたい。なんと言うか、生きて行くのって複雑。なんで、やりたいことだけやっててはいけないんだろうね。

要求の多い娘

 4歳の長女が育てずらい。今日もなかなか寝かしつけられず…暑いのか布団の上でのたうち回り、「のど乾いた」→(水持ってこいの意味 )と言う。水を与えしばらくゴロゴロすると今度は「鼻クソとれた」→(ティシュ持ってこいの意味)とアレコレ要求してくる。10時も過ぎてしまい、なかなか寝ないことにイライラ。しかもこちらがウトウトして来たのを叩き起こすように、わたしを立ち上がらせる。初めは神対応していても最後は怒ってしまう。今日のセリフは「いい加減にして。ほんと面倒くさい。早く寝てよ!」そうするとシュンとなり動きが止まり直ぐに寝た…ちゃんとそれまでは「大好きだよー」なんて言いながら寝かしつけてたのに。結局娘は怒られたまま寝ることに。穏やかに寝れたらいいのに。

 生まれてすぐも寝るのに2時間は大声で泣いた。もう何しても手がつけられずビニール袋をカシャカシャしたり、抱っこやおんぶの仕方を変えたり、夜中や明け方にまでも外を散歩したり…こちらが「いい加減に泣き止んでよ‼︎」とキレるとようやく寝るのだった。赤ちゃんなのに、わたしが頭にくるまで粘って粘ってこっちも我慢して我慢してマックス頭にくるとやっと寝る。。あまり寝れてなくて睡眠不足で、やっと赤ちゃんが寝て寝られるようになったのに頭に来てカッカしてるから寝られない。そうこうしているとまた起きて泣く…ほんと拷問のように眠れない1年だった。断乳したら夜中起きなくなり、夜中眠れなくてしばらく泣くというのからは解放されたけど。

 眠るのが苦手な子なんだと思う。今も昔も。わたしを煩わせずには眠れない。他の2人の子供は頭にくることなどなく寝てくれるから、上手く入眠できないのは彼女の性質なんだろうと思う。

 発達障害も疑った。専門医や臨床心理士に診てもらいにも行った。結果はシロ。多少発達の遅れはあるかもしれないが、正常の範囲内とのこと。正直がっくり来てしまった。もし発達障害なら、いろいろ仕方ないと許せたかもしれないと?夫も発達障害だと思っているのと同じように?付き合いづらいとみんな発達障害だと思ってしまう?!それともわたしが発達障害なのか?

 最近の娘は不注意が目立つ。毎回の食事で何かに気を取られて茶碗をブチまけ立ち歩く。服や靴は買ったその日にボロボロ。破れたり油性ペンで汚して来たり、ありとあらゆる方法でボロボロにする。怪我も多いし不注意だから、わたしも何度もぶつかられたり踏まれたりで痛い目に合う…周囲の友達を嫌な目に合わさないか心配。ADHDなのでは…子供はみんなそうだと思えないのはやはり他の兄弟姉妹がそうじゃないから。

ワザとじゃないと分かっていても、動き回るのを頑張っても止められないのかもしれないのだけど、頭に来てしまう。優しくしたいし、優しくできていても、ある時限界を超えてしまう。そして彼女もわたしが限界を超えてイライラすると、彼女のイライラがおさまる。それなら最初からキレた方がいいのか?本当に対応に困る。

 

暴力が何故いけないのか

 力の強い者が弱い者に暴力をふるった場合、たとえ弱い者がやり返したとしても同じダメージを強い者に与えられないから。だから、大人が子どもに、男性が女性に、強者が弱者に、暴力を用いてはならない。いじめてはいけないのだ。

 暴力がいけない理由なんて当然過ぎて考えたことがなかった。そしてまさか暴力についてわたしが深く考えなくてはいけない日が来るとは…暴力被害にあわない限り良く考えないだろう。暴力がいけないなんて小さい頃から教わっているし、当たり前の道徳過ぎて一般常識。

 言葉で傷つけ合うのはある意味対等なんだ。死ねと言われたら死ねと言い返す。力の強弱に関係なく表面上同じダメージを与え合える。でも暴力は力に差があればどうしたって力の弱い者が悔しい思いをしなければならない。語弊を恐れずに言えば、同じ力の持ち主同士の暴力ならいくらでもやり合えばいいのではないか。

 力が弱い事は決して恥でもなんでもない。ただの身体能力だしそれは個人差であって、人間の尊厳はあくまで対等。だから強者の被害に遭った場合は、助けを求めるのは恥ずかしい事では全然ないし、周囲も全力で助けてくれる。助けてくれる周囲が探せばある。

 このブログを書いているのは、自分のように苦しむ人もいて、自分の気付きが誰かのほんの少しの支えになって欲しいという思いもあるんだと思う。

 

断捨離したところで片付かないという事実

・ やましたひでこさんの「断捨離」

・こんまりさんの「人生がときめく片付けの魔法」

・佐々木典士さんの「ミニマリズム、ぼくたちに、もうモノは必要ない」

 売れているモノを捨てる本は読みました。その他図書館にある片付け系の本も片っ端からかりて、読んでみました。読んでる時間を片付けに使ったらどんなに片付くだろうと思いながら…

 とにかく騒然と雑然とした5人家族の汚部屋。多少片付けたとしても1日も持たずにもとのキッタネー部屋に戻るので、片付ける気力すらわかないのでした。

 まず最初に取り組むのは断捨離。とにかくモノを減らす。そしてモノが入って来ないようにする。シャットアウト。こどもちゃれんじなんか本当毎月オモチャが届いてもう無理でした。小さなお子さんのいるお宅へお邪魔させてもらうこともありますが、よくもまあこんなたくさんのオモチャをちゃんと片付けて生活できる!というお家が結構あって感心します。パワフルに片付けられる、あれは母親の才能?人間コントロールできるモノの量はそれぞれ個人差があって、わたしは本当に少しの量も片付けるのが億劫。オモチャから洋服から徐々に減らしていって、「モノが少ないねー」なんて他のお母さんたちに言われるようになりました。でも、ものが少ないのに散らかる。片付けるために毎日アチコチ家を徘徊しなければいけないことに苛立つ。そこで気付いたのが、例えモノが少なくとも散らかし放題の人たちがいて、わたし以外誰も片付けないということ。子供や夫にママあれ何処?これ何処?と聞かれて結局出すのさえもわたしの仕事…正直ウンザリです。モノの置き場を決めて、いつも使う人が管理する。困るのは誰か?自分ですよという風にしておけば、なくなった時も「ちゃんと元の場所に戻さないから無くなるのよ。あなたが悪いんでしょ」と言える。責任の所在はあくまでも所有者。共有で使うものも無くなれば最後に使った人の責任、というシステムを作りたい。そうでないと、虚しい片付け地獄、片付け巡礼は終わらない。

 そこで、断捨離の後に辿りつくのが整理収納です。これも図書館の本を片っ端から読みました。参考になったのがOURHOMEのEmiさんや、門倉多仁亜さんの本でした。人生の半分は整理整頓であるという、ドイツの格言は言い過ぎではないように思います。家事をする中で如何に頭を使わず習慣にまで落とし込めるかが、家事が面倒でなくなるかぎです。あれこれ考えずに自然に体が動くようになれば、面倒臭くてやりたくないという感情が大分払拭される。これ何処にしまおう?とか考えずに決まっていればいい。家事の流れも流しを片付けたら珈琲飲んで次は洗濯物干すとかってルーチン化して考えないようにする。ご飯作りもヨシケイの何がいいって、メニューを考えなくてよくて材料が届くところ。

 ちょっと脱線しましたが、断捨離してモノの置き場所も決めました。自分自身が部屋を片付けるのは把握しているから大分楽になりました。あとは家族にどうしたらしまってもらえるか。口うるさくいう?褒めて動かす?その人がやりたくもないのに、やってもらうことは本当難しい。本人は必要と思ってないことしないから。これからこの試行錯誤の段階に入りました。